
菅野敬一にとってのエアロコンセプト
菅野が自分の好きなものをつくって、
その結果としてエアロコンセプトが世に生まれたことはわかった。
では、菅野が好きなものというのは何なのだろうか。
はじめて菅野にインタビューを行ったとき、
彼は彼自身が触れてきて心酔してきた製品として、
ライカやBMW、それから、古い映写機などを例としてあげていた。
彼にとって、それらの製品群が価値高いのは、
それらの製品が手に触れただけで嬉しくなるような製品だからである。
そして、さらにそれらは、使う度に何かを感じる製品だからである。
「いいモノというのは、モノが語るんだよ。
職人が心を込めてつくったものというのは、
細部に職人の心、設計者の心が表れるから、
使い手が手に取るたび、何かを語りかけてくれるんだ」。
決して安くはない高い品質の製品。
菅野がそれらのものに触れてこられたのには、父の存在がある。
菅野の父は、最高のものに触れていたいという心を持った人物だったようで、
自分ではBMW社のバイクを乗り回し、
家では蓄音機にクラシックレコードを乗せてレコード鑑賞会を開き、
息子には、最高級品のカメラ、ライカを与えた。
そういうハイカラな気質を持った職人だった。
「だけど、別にウチが大金持ちだったとか、
そういうのではなくて、
単純にウチの父親はそういうものが好きだったんだ。
好きで、好きで、そのためにお金を貯めては、
買って手に取って、いじって喜んでいたんだと思うな」

モノに対する感度の高さ
菅野がそう語るところから想像すると、
恐らくは、菅野の父は、自分でモノを生み出す職人として、
本能的に逸品を求め、傍に置いておきたいと考えたのではないだろうか。
日々、自分自身で良いものを生み出そう、
つくり出そうとする職人が、同じ職人、
またはエンジニア、デザイナーの心を製品のなかに見出さぬはずはない。
そういう意味では、
つくり手というのは、
明らかにモノに対しての感度の高いアンテナを発達させている。
現代という時代は、「心を失った時代」と表現されることもあるが、
誰の意志も、想いも、欲望もなく、
ただ単に生活をやりすごす利便性向上のためだけに
工場で量産された製品の数々を、我々が平然と使っていられるのも、
現代人のモノに対する感性自体が
著しく薄れてきてしまっているからなのかもしれない。
それは、大げさなことを言えば、都市文明が発達して、
経済が発達して、サービス業、中間業が発達すればするほど、
人類創世以来、常に生活の傍らで行われてきた「ものづくり」
ということから距離を置くようになってしまったがための
結果なのだと思う。
現代という時代は、
「誰かが欲しくてたまらないモノではないけれど、
何かの役には立つモノ」が量産され続けている時代だ。
だからといって、渓水という工場が、
その時代の流れに逆らった工場であると、筆者は考えない。
むしろ、時代の流れのなかに組み入れられようと努力し、
それでもなかなかその時代に適合できないできた工場なのだろうと思う。
「安くしろ、早くしろ」、
菅野が自身の体験から猛烈に拒否反応を示すこの言葉を、
父も同じく耳にし、努力を惜しまず会社経営をしてきたはずだ。
一経営者としたら、少しでも会社の経営を良くしようと考えることは、
自然なことだ。
しかし、そういった世の時流の中でも、
この工場から職人魂が消えないのは、つくっていたものが、
航空機や新幹線のパーツだったということと無関係ではないだろう。
その製品の性質上、まったく手抜きができないのである。
それは、そのどちらの乗り物もが
人命をあずかる高速移動体であるがための宿命だ。
良いものを見失わない心が、
渓水という工場に今も根強く息づいているのは、
そうした取扱製品の特性も少なからず関係している。
が、しかし、菅野の父のモノに対する感度の高さとは別のところで、
さらに高い次元で良いモノを感じる心が菅野には備わっており、
その感性がエアロコンセプトを生み出したのだろう。
では、一体、菅野は何を胸に想い、
エアロコンセプトを生み出したのだろうか?
「自分自身が欲しいものをつくった」と言うのであれば、
彼はエアロコンセプトのどこを好きで、
どこを誇りに感じているのだろうか?
筆者が菅野に質問を投げると、
菅野は次のような箇条書きの答えを返してきた。

「自分が居る」ことの実践
「1.好きでつくっているという議論の余地のない潔さと気軽さ。
2.好きでつくったエアロコンセプトがお題となって、各エンドユーザーから違った切り口の答えが返ってくること。
3.新品のときよりも使い続けて更に良く見えること。つくり手と使い手が協力して、最後にモノ(材料)でなくなること。
4.人の持つ能力、愛に対して、貨幣経済は下品であることを伝えられること。
5.ものづくり屋として、気持ちを楽にして、本音で食べていける企業づくりへの挑戦。
何とも、ユニークな回答である。
それぞれの答えには、それぞれの備考も付け加えられていた。
1の備考.下請けをする職人にとって、「自分の好き」を表面に出すことは、「自分が居る」ことの実践だからだ。
2の備考.「好きでつくる」というのは、良くも悪くも一つの基準。基準ができるからエンドユーザーからの答えが返ってくると思う。
3の備考.私の好みのものは、長く使い続けていくことのできるもの、「長く付き合えるもの」だ。
4の備考.「費用対効果」「安くて良い」「早くて便利」、こういった言葉の結果として生み出された製品ばかりでは、悲しすぎる。経済的な都合によってだけ生み出された製品だけでは、あまりにも悲しい。
5の備考.従来、下請け工場に本音を言う権利はなく、客先と客先にコントロールされた市場の本音に振り回される存在。でも、もし私が工場のリスクを覚悟してでも、私の本音を貫いたなら、企業存続が可能がどうか?その挑戦がしてみたい。」

エアロコンセプトに込められた気配や感触
なるほど、菅野の頭の中は、本当にユニークだ。
当たり前のことを当たり前に書いているだけとも言えるが、
今の時代を鑑みれば、かなり興味深いユニークな考え方である。
エアロコンセプトに込められた哲学というものが、
果たして、どの程度に深いものなのか、その真実はわからない。
しかし少なくとも、菅野は前述のようなことを公言している。
そして、ユーザーはエアロコンセプトの製品自体からも
その哲学も感じ取ることができる。
その辺りに関しても、菅野はオリジナルの考えを持っている。
「エアロコンセプトにはね、
いろいろな気配や感触を漂わせたい、そう思っているんだ。
たとえば、俺には、
表現する言葉がないから”感じる気配”を優先させたんだ。
”どこか無駄”と思えるような気配を漂わせたいし、
”どこか不良”と思えるような気配を漂わせたい、
それにどこかセクシーであってほしいし、
上品であってもほしいんだ」
さらに、菅野はエアロコンセプトの中に込めた、
秘めた想いについてを語り続けた。
それらの言葉の多くは、
菅野自身が感じている朧げな感覚的なものを言葉にしているから、
恐らく一般の読者にはあまりにもわかりにくいものだろう。
しかし、ここには、彼が言ったそのままを書き記すことにしよう。
「俺がエアロコンセプトの中に込めた上品なものというのは、
”強さ”のなかになくて、”弱さ”のなかに含まれている気配なんだ。
モノの中に、優しさ、潔さ、思いやり、
といった人だったら格好いいと思える要素を込めるんだ。
そして、行動と行為のなかにある、キーワードもね。
それは例えば、”旅”、”仕事”、”遊ぶ”、”初対面”、”仕草”、”別れ”、
”伊達に振る舞う”。特に、”仕草”は大切な要素なんだ。
蓋を開けるときの手や指の動きの優雅さだったり、
名刺ホルダーから名刺を抜き出すときのスマートさだったり、
手にカバンを提げたときの誇らしげな足取りだったり、
そういうものを導き出す道具だったらいいんだよなぁ」。
そして、最後に、エアロコンセプトをつくるときに、
一番意識しているものは、無心であることこそが大事なのだという、
無欲、無我、無心。
そんななかで手を動かすことではじめて製品はひとつの形となる、
世に生み出される、そういうのだ。

無心と無欲から
無心になって、心を込める。
これは一体、どういうことなのだろう?
一般的には人間の心が一番ピュアな状態にあるときに、
無心と表現する。
無我の境地では、インスピレーションが降りてくる、
そういうことなのだろうか。
これを菅野に聞いてみると、
つまり、実際につくる段には、
そういうゴチャゴチャしたことをコンセプチャルに考えているわけではなく、
ただ、ただひたすら無心に、
心の中に浮かんだ絵を外に出すということである。
「こうやってさ、土日に休みの工場に来て、
ジャズなんかを流しながらさ、設計図を描いたりするんだ。
そうすると、窓から夕日が射し込んできてさ、
ぽかぽか部屋が暖かくなってきて、
オレ、図面の上に寝ちゃったりするんだよ。
そういう何でもない時間がさ、本当に贅沢に思えて、
オレ、大好きなんだよ」。
つまり、彼がエアロコンセプトに込めている心というのは、
それは彼自身の無邪気さなのだろう。
子供が砂場で土遊びをしたり、粘土遊びをするような、
そんな心持ちで彼はエアロコンセプトをつくっている。
ただ、彼の頭と体には、十二分に知恵と技がしみついていて、
自然と複雑な計算や作業ができてしまうのだ。
きっと、そういうことなのだろう。
町工場の職人と聞くと、いわゆる荒くれ者的なイメージや、
寡黙で朴訥というステレオタイプなイメージが浮かぶことだろう。
きっと、気質としては、彼にもそういうところもあるのかもしれない。
しかし、彼のエアロコンセプトにかける想いを聞けば、
彼はとても詩的で、哲学的で、ロマンティックだと言わざるをえない。
明らかに、彼は、エアロコンセプトに果てしないロマンを見出している。
あまりに叙情的なことを口にしてしまったからだろうか、
最後に彼は、おどけるようにこう言い直した。
「でもさ、やっぱり、エアロコンセプトってさ、わかりやすいだろ。
だって空を飛ぶ飛行機の部材からできてるんだ。
“空を飛ぶ”って、夢があっていいじゃないか。
何よりも、エアロコンセプトがいいのは、
わかりやすい夢をもったカタチってところなんだ。
そんな難しいことじゃないさ」。
