
長い時間
渓水の歴史は古い。
いや、当時は、渓水という組織名ではなく、菅野製作所といった。
だから、
その源流の歴史は古いと言った方が正確だろうか。
(渓水の会社名については、後述するので、ここでは触れない)
ホームページを見ると、そこには昭和32年と記されているが、
実際、板金屋としての歴史はもっとずっと古い。
菅野の祖父にあたる
菅野春吉は、明治時代の板金工であった。
大阪城修復の際の金属部分の加工には、
他、全国からあまた呼び出された職人たちを
棟梁として取りまとめたこともあるほどの腕利きだったようだ。
当時は、現在ほど、
金属加工をするものも多くなかったが、
代わりに需要が多くあったのが、トタンやブリキの加工である。
手が器用で、負けず嫌いな性格を備えた菅野の祖父、春吉は、
他の板金工にできないことも、
惜しみない努力と集中力で形にしていく。
その試行錯誤の積み重ねが、
経験値となり蓄えられ、
お客から高い評価と信頼を得る。
そのやり方は、
関東大震災、戦後の焼け野原をくぐり抜けて、
祖父から父、良彦、叔父の敏彦に受け継がれ、
そしてその技術と魂は菅野敬一にも
継承されていくことになるわけだ。

「俺は、親父というよりは、
おじいさんの方から、技術を教えてもらったんだ。
まあ、教えてもらうというよりは、
見て盗んで身体で覚えたという感じだけどね。
おじいさんも親父も、
負けず嫌いでさ。
他の職人がいいものつくらないと、
怒鳴り散らしていたよ。
自分がいいものつくれるから、
腹が立つんだろうね。
出来上がったものの出来映えが良くないと、
何も言わずにほっぽり投げちゃうの(笑)。
昔の職人って、そういう感じだったんだよ」
明治、大正、昭和という時代を通して、
トタン屋、ブリキ屋、そして板金屋として、
渓水はひとつひとつの仕事を着実にこなし、
高い実力をつけてきたことになる。
「だけど、技術のことを言うのなら、
俺なんかより、高い技術を持った職人が
渓水には大勢いるんだ。
祖父や父や叔父から、直接、薫陶を受けた彼らが、
今もこの工場を支えてくれているから、
この工場を
誇りを持ってまわせていけるんだ。」
確かに、渓水を訪れる度に
感じさせられるのは、
ここで働く工員というか職人さんたちの、
生真面目な仕事ぶりである。
淡々としていながら、
それぞれの作業に対しての集中力には
目を見はるものがある。
そして、
何よりも感じさせられるのは、
彼らが体全体で放つ職人の気だ。
職人然とした雰囲気というのは
つくろうと思ってつくれるものではない。
その気は、ただ何となく漂っているのだ。

彼らの様子を観察していると、
仲間同士で一緒にいたとしても、
ほとんど言葉を発さない。
言葉を発さないのに、
どこか穏やかで和んでいる。
世間には、
「言葉にしなけりゃ、わからないじゃないか!」
「論理立てて説明してくれないと、わからない!」
そういう風潮がある。
言外でのコミュニケーションが否定されるのは、
今にはじまったことではないのかもしれない。
それは、長い間、地球にあまねく言われてきたことなのだろう。
確かに、その通りだ。
言葉は、何か伝えたいことを伝えるのに有効な手段であるし、
論理だって、同じだ。
ただ、職人然とした彼らを見ていて感じるのは、
彼らにとっては、言葉というものが、
制限されたものであるがゆえに
使い勝手の良いコミュニケーションツールではないということなのだ。
彼らは、もっと呼吸とか間とか表情とか、
そういうものでコミュニケーションをできているのではないだろうか?
それは、彼らが日頃、彼らの技術を言葉で説明しないことに似ているのは、
偶然ではないように思う。
彼らは、先達の匠の技を、
目で見て、手を動かし、
自分の体に染み込ませながら技術を修得してきた。
彼らが、技術のひとつひとつを覚えたのは、
言葉によってではない。
むしろ、視覚、聴覚、触覚、そしてときには嗅覚を
働かせることで高い次元の技術を身につけてきたのだ。
その意味からは、
彼らは無口だが、決してコミュニケーションが下手なわけではないのだ。
むしろ、より高次のコミュニケーション、
言外の情報のやり取りの威力を知っていればこそ、
言葉だけのコミュニケーションにもどかしさや嘘臭さを感じてしまい、
結果として、無口になってしまうのではないだろうか。
少し話はずれたが、
きっとそういうことなのだ。
渓水の職人たちが、
職人然としていて、
無言のままに穏やかなコミュニケーションをしている様子は、
見る人に何かを思い起こさせてくれる。
その何かとは、彼らが、その無口さや職業然とした佇まいを培ってきた歴史だ。

渓水では、
菅野春吉も良彦も、そして叔父の敏彦も
言葉少なに、想い多く、その技術を職人たちに伝えてきたに違いない。
そして、そんな職人らしい職人たちによって
受け継がれた生命を宿した技術があればこそ、
新しい可能性を持った製品が生まれてくるのだ。
幼い頃から
現場での出来事を目の当たりにしてきた、
菅野敬一は、そんなことは百も承知にわかっているらしく、
彼らの力、技術があってこその渓水、
むしろ、「職人の技術力こそが渓水だ」という
そんな想いがあるようなのだ。
いつか筆者は菅野に何とはなしに聞いたことがあった。
「職人さんたちは、ほとんどしゃべらないんですね」
すると、そんな他愛も無い筆者の問いに対して、
菅野は、深淵な哲学さえ含まれているような
シンプルな答えをくれた。
「だって、彼らはそういう商売をしているわけじゃないからね。
彼らは職人だからさ」。

エアロコンセプトの開発
板金加工屋で3代目となると、
そこにははかりしれない技術と計算が土台に積まれている。
「そんな歴史とさえ言える過去を持つ工場、渓水が、何故、エアロコンセプトを?」
技術には、確固として裏打ちされたものがあり、当然ながら高い評価を得ていた。
工場としては、超一級の腕を持っているのだから、
何も危険を冒して、
別段新しいことをやる必要性なんてどこにもない。
そもそも、昔ながらの町工場から、
どうしてエアロコンセプトのような、
ソリッドでコンテンポラリーな発想が生まれ得るのか、
まったくもって不思議でならない。
実際に手にしたエアロコンセプト製の名刺ホルダーが放つオーラは、
明らかに、
一般的に知られる「板金屋」「町工場」「昔かたぎの職人」といった単語とは、
かけ離れたものなのだ。
どちからと言えば、
職人がつくったと言われるよりは、
どこぞの高名な建築家なりデザイナーが、
町工場にいる昔かたぎの板金工に力を借りて製作をしたと聞く方が
耳に馴染み、「なるほどね」と腑に落ちそうだ。

一体どうしてか?
そう聞くと、菅野は答えた。
「別に、俺は自分の欲しいものをつくっただけだよ」。
いつものように、平然とうそぶく。
でも、
そんなわけがない。
そんな簡単に製品というものが
ひとつの完結した形として世に出るわけがないのだ。
何気なく手に取られる日用品だって、
それが製品となり、商品として、市場で売られるためには、
さまざまな専門家の目にさらされ、知恵が寄せ集められてこそ
ひとつの製品として世に出るのだ。
そこには、
企画者がいて、マーケッターがいて、デザイナーがいて、
技術者がいて、製造業者がいて、営業マンがいて、
卸業者がいて、広告マンがいる。
そういった、
いくつもの手をリレーされてゆくことで
はじめてひとつのアイディアが実を結び、
市場で売られる。
その一連の流れは、
あらゆるメーカーが
もはや当たり前過ぎるほどに当たり前のものとして
取り組んでは悪戦苦闘していることだろう。
商品開発という名目でかかる投資は、
安いものではないのだろう。
だから、
いかに商品開発のコストを安く抑えるか、
いかに先行調査をして、商品を投下するマーケットを絞り込んでおくか、
そういった内容をあらかじめ計算し尽くしておくことは、
言うまでもなく、メーカーにとっての最重要事項である。
新商品を次々に発表して、
消費者の好奇心を煽り続けなければいけない。
しかし、
そのアイディア投入は慎重に行う必要がある。
そんな盤石の体勢で
ひとつの商品をつくり上げ、
ひとつの商品を市場に出す。
それでも、その商品を「売り」に結びつけることは、
並大抵のことではないのだ。

それは、
『プロジェクトX』などのドキュメンタリー番組や
ニュース番組においても、
ドラマチックな商品開発ストーリーというものは
いくつも紹介されてきているので
決して目新しいものではないはずだ。
ところがである、
菅野という男は、
あっさりと「つくりたいものをつくっただけだ」というのだ。
彼は、本当のこと言っているのだろうか?
そう疑りの念が湧いた筆者は、
彼に尋ねることにした。
一体、確乎とした技術があって、安定した収益をあげてられるはずの精密板金加工業者が、
まったく未知の分野に足を踏み入れたのは、どうして何でしょう、と。