
97歳まで生きるということ
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。
これは、戦乱の世を生き、天下統一を果たした織田信長公が好んだ『敦盛』の中の一節である。
長いこと多くの人は、一生を生きるということは、およそ50年の時を生き抜くことである、そう考えていた。
事実、日本人の平均寿命が50歳を越えるようになったのは、戦後のことである。明治、大正時代などは、40歳代が平均寿命として数えられていた。
だから、昔の人にとっては、「生きる」こと、そして「歳を重ねること」の意味が、今とはまったく違うものであったはずだ。
千佳慕が生まれたのは、1911年(明治44年)のことである。
まだ明治時代であり、まだふたつの世界大戦も、関東大震災も起っていない。
テレビもなければ、もちろんインターネットだってない時代でのことである。
戦後生まれや、平成以降生まれの人間にとって、
彼が生まれ落ちた時代がどんな時代だったかは、想像の域を出ない。
しかし、
確実に想像しうることは、当時の千佳慕自身が97歳まで生きるとは、到底、考えていなかったということである。

「僕はね、生まれつき虚弱児だったの。すぐに寝込んでしまうくらい体が弱くて、体力も全然なかったの。だから、4歳くらいになるまでは、よその子と同じように外に出ることすらできなかった。だから、当時の僕ができたのは、お家で絵本を読むか、お庭で花や虫と遊ぶくらい。まさか、自分が97歳にまでなって、絵を描いて、現役の画家をやっているなんて、思ってもみませんでしたよ」。
97歳まで、現役として仕事をやり続ける。
そんな志を持って生きている人間は、ほとんどいないはずである。
今の社会的な背景を考えれば、多くの人の頭の中に浮かぶのは「老後」ということである。年老いたら第二の人生というものが待っていて、現役を退いた先で一体何をするのか、どう過ごすかで、人生の価値は決まってくるという具合だ。
ある人は、釣りをはじめたり、楽器などの手習いをはじめる。
また、ある人は、地域の活動に参加したり、若者たちの教育に熱を入れる。
確かに、それぞれの道がそれぞれに意味のある老後となるのだと思う。
仕事づくめの人生に嫌気が指してしまう人がいるというのにも、
多くの人が共感をするはずだ。
しかし、千佳慕の頭の中には、いわゆる中流のサラリーマンたちが思い描いてきたような計画的な人生というものはなかった。

「僕には、老後というのが今もないの。だって、そんなこと言っていられないくらい貧乏だったんだもの。
常に動いていて、働いていないと駄目だったんだ。
60代までは、泥の中を泳ぐような人生。
70代で少し花が開いて青春がはじまったの。
だから、僕にとっては、70歳がルネッサンスだった。
それで80代が、僕の一番の青春。
本当に毎日毎日、うきうきとときめいていましたから。
さすがに90代になってからは体力が落ちたけど、それでも毎日、すべてのことにときめいていますよ。人間、ときめきがなくなってしまったら、もうお終いでしょうね」。
千佳慕が、70代を青春だと言うのは、その頃にようやく画家・熊田千佳慕としての評価が得られるようになったからである。
1981年、70歳のときに、イタリア・ボローニャ国際絵本原画展に出品してからというもの、彼の絵には評価が付けられるようになっていく。その評価はもちろん、国内だけのものに留まらず、海の向こうにまで広がっていくようになった。
「ヨーロッパの人間というのは、評価の仕方も、なかなか面白いんです。私の絵を見て、日本人では言わないような評価の仕方をしてくれる。”クマダの絵はまるで生きているようだ。彼の絵にはファーブルと同じエスプリが感じられる”、そんなことを言ってくれる。それは、もう嬉しいですよ。私の大好きなファーブル先生を引き合いに出してくれるわけですからね」。

千佳慕にとっては、すべてがはじめての経験だ。
それまで、画家としての千佳慕は、暗闇の中を手探りで生きているような感覚だった。
それが急に目の前が、パッと明るくなったわけだ。
だから、彼にとっては、戸惑うような出来事ばかりがつづいた。
千佳慕の元には、度々、カメラを携えた多くのメディアが訪れたようになった。
雑誌、新聞、そしてテレビに彼の絵が露出すると、彼の名声の波紋はますます広まっていくようになった。
そして、彼が今も、進行形で取り組んでいる『絵本ファーブル昆虫記』は売れはじめ、翌年、翌々年と重版をする運びになっていった。
自分の心の声に耳を澄ませることが大切で、どんなに孤高の生活を愛していた芸術家であったとしても、
世の中から目を向けられることが、嬉しくないはずがない。
自分の絵に社会的な評価がつき、
しかもお金というものにも幾ばくかは恵まれるようになったわけである。
千佳慕がそういったものを経験するようになった70歳という齢は、
今の社会で言えば、間違いなく老人としてくくられる年齢である。
にもかかわらず、
彼は、彼の人生の真の幕開けを全身で感じていた。
辺りの空気が、一変するのを察知していた。
だから、
彼には老後というものがなく、喜びとともに多忙な時代を過ごすことになったわけである。

ときどき巷では、こんな声を聞くことがないだろうか。
「長生きなんかするもんじゃない」「長生きなんかしたくない」。
特に、今のような長寿高齢化社会になると、未熟な社会保障制度には穴ばかりが目立つようになる。すると、老後の不安感というものはどうしても拭えない。
実際に、長生きしたところで、私たちがどんな暮らしをさせてもらえるのか、まったく想像すらできないのが現状だろう。
加えて、
かのお釈迦さまですら、「この世は苦しみで、生きていくことこそは苦しみだ」と説いている。生きることには、感情的な苦しみが伴う。多くの人は、体験的にそれを知っているはずだ。
しかし、97歳の今もせっせと筆を動かし働いており、生き生きと目を輝かせている千佳慕を見たときに、私たちの脳裏には一体、何がよぎるだろうか?
老後ということについて、ふたたび想いを巡らされることは間違いないはずだ。
本書執筆に当たってインタビューをしている著者に、彼は尋ねてきたことがある。
「あなたは、今、何歳ですか?」
私が、「35歳です」と答えると、彼は声を震わせながら、目を細めて、ポツリとこう言い放ったのだった。
「いいなぁ」。
