シリーズ

『虫の眼で世界を眺める』:第2話

kumada06

わからないことは、わからない

「僕は、今も何もわからないまま」。

97歳になる千佳慕は、そう言い放った。
一聴、自信のない者が発しそうな言葉だが、彼の表情には自信が溢れている。

「みんな人は、”これはこうで、あれはああで”と覚えていきたい。
だけど、僕は今も何もわからないまま」。

我々の多くが気づいている通り、現代の都市文明の中に生きる者は、社会的大人にならなければいけない、そう思い込んでいる。
自身が生きてきた狭い生活環境の中から、さまざまな観念を寄せ集めてきては、それを頭の中へとしまい込む。
そして、自身と家族、友達や恋人の心と行動をそのモノサシでがんじがらめにしていく。
きっとそれは不安な気持ちを払いのけて、よるべない世の中を渡っていくために必要なことなのだ、そう信じている。
「お前、いくつになったんだよ。そんな子供じみた真似はやめろよ」。
言葉に出さずとも、多くの人はそうした言外のメッセージが日々の生活のあらゆるところに埋め込まれていることをどこかで感じている。
そして、人はそれを常識と呼び、その共同幻想である常識を横目に必死になって成長を試みる。
「お前も大人になったなぁ」と言われることが、どんなに現代の大人たちを安心させるだろう。

kumada12

千佳慕が発した短い言葉には、ありとあらゆることを信じない、彼の生き方が凝縮されていた。

どうして彼がそんな考え方を持つようになったのかは、謎だ。
だが彼は、世間の常識というモノサシが彼を幸せにないしことを本能的にかぎ取っていた。

「関東大震災が起こったとき、僕の住んでいた家は粉々になってしまったんです。
横浜の辺りはみんな瓦礫の山になってしまった。
そんな風景を見たら、僕にだって、これからどうなってしまうのかという不安な思いが頭をよぎりましたよ。
でも、次の瞬間、僕の頭に学校のことがよぎったんですね。
それで父に学校のことを聞いてみた。”学校はどうなっちゃうの?”と。
そうしたら父は、”学校がこの先どうなるかなんてわからないんだ”と言う。
それを聞いて僕は、”やった!ざまあみろ”、そう思ったんです。
僕の人生には、不思議なことが起こる。窮地に立たされると、必ず神様が助けてくれる。それから後の日々、僕は学校というものから解放されたんです」。

kumada037

何という不謹慎なことを口にする人なのだろうか、そう思う大人は少なくないはずだ。
関東大震災では、14万人以上にも上る死者、10万人以上の負傷者が出ている。
にも関わらず、彼はそれが神の救いだったと言う。
しかし、一体、誰が彼の感覚が間違っていると糾弾できるだろう。
彼は、自然災害として起こってしまった関東大震災という事実を受け入れ、道ばたに転がる死者たちに冥福を捧げ、負傷者たちに手を差し伸べた。
そして、得も言えない悲しみと恐怖を身体全身で感じていた。
しかし、そんな大惨事の中にも、同時に彼はうきうきしたものを見つけていた。
それが瓦礫と化した小学校だったのである。
それこそが彼にとってのリアルな感触だった。
千佳慕は、常識的、社会的な反応にはなびかず、心に起こるありのままの反応に全ての感情を委ねていただけなのだ。

kumada028

すると、眼前に広がる焼け野原も、彼には天国のように映ったのだ。
そんな素直で純粋でありながら反社会的とも言える彼の心は、ときに「非常識だ」「世間ずれしている」と揶揄された。
しかし、彼はそんな声には一切の声を傾けなかった。

彼の心の中、彼の頭の中には、方程式がなかったのだ。

「地震=悲しむべきこと」。

彼にとっての関東大震災は、そんなに単純で機械的な出来事ではなかった。
もっと複合的な意味をはらんだものであり、もっともっと生々しいものだったのだ。

kumada026

そこには、わからないことが沢山ある。
想像外のことが沢山ある。
表向きの同情を見せることは難しいことではなかったかもしれない。
だが、本当の意味で悲しみの感情を共有することは容易ではない。
千佳慕は、その「わからない部分」に軽々しく身を委ねなかった。
それよりも、もっとリアルに沸き上がってくる、自分自身の心に身を委ねた。

千佳慕にとって、関東大震災が社会的にどんな意味を持っていたのかは、今もわからないままだ。
ただひとつ彼が感じたのは、それが、宿題と憂鬱の場であった学校から解放させてくれた出来事であるということだった。

コメント