

ロックであれジャズであれソウルであれ演歌であれ、今ある大衆音楽において、エレキ・ギターというものはなくてはならない存在です。おっかけギャルから、ギターキッズまで、人々を虜にしてやまないのがエレキ・ギターという楽器。ギターメイカーと聞けば、フェンダーやギブソン、フェルナンデスなどの大メイカーを思い浮かべるのが世の常でしょう。しかし、西東京の山奥でひっそりとふたりの職人によって営まれるギターメイカーがあります。噂では、このメイカー、アメリカで展示会をやれば完売するほどの人気を誇るのだとか…。一体、どうしてそんな不思議なことがなせるのか、彼らの工房、ジャージィーガール・ホームメイド・ギターまで足を運びました。
場所:ジャージィーガール・ホームメイド・ギター

それにしても、この工房、本当に山奥にあるんですね。
後藤:ここには、約15年ほど前に引っ越してきました。築70年位の古いところですけど、住み心地はいいですね。ギター製作をするにも都合がいいんです。楽器づくりの場合、どうしても音を鳴らさないといけないので、ここでは、近所に気を使う必要がありませんからね。
ふたりだけでギターメイカーをやっていて、それも海外に売っていると聞いたのですけど…。
後藤:はい。僕が木工と組み上げをして、尾田が塗装をしています。元々、エレキギターというのは、アメリカで大量生産することを前提に生まれたものなんです。だから、アコースティックギターのように個人工房を簡単にはつくれない。そういう意味では、自分たちでもどうしてやっていけているのか、不思議になります(笑)。


ギター・メイカーとして生活することは、なかなかできないことですよね?
後藤:いや、今も生活できているはわかりません。最近は、現金のない生活に慣れてしまいまして(笑)。でも、元々は僕らは一方ではギターの修理を請け負っていて、その一方でギターをつくるという働き方をしていたんです。でも、僕が30歳(2000年)のときに、「修理はやめて、ギターだけを作品としてつくっていこう!」そう決意した。そこからは、基本的にはギター製作を中心にやっています。
「作品としてギターをつくる」というのはどういうことですか?
後藤:絵を描く画家のように、曲をつくるミュージシャンのように、ギターを作品としてつくって売る、ということですね。僕らは「作品主義」というものを打ち出して、使う人に100年間愛してもらえる「100年ギター」をつくっていこう。そう決意したわけです。


大量生産品の正反対の方向に向かったということでしょうか?
後藤:はい。一般のエレキギターは、ひとつのモデルで沢山のバリエーションをつくって、そのうちのどれかをミュージシャンが使う。すると、同じモデルをファンが欲しがってギターが売れる、という基本的な物流の構図があります。僕らはそういうのはやめて、好きなことをやり切ってつくろう、と。そう決めてしまった。
決めたからって、作品づくりが仕事になんかなるものなのでしょうか?
後藤:最初は、楽器屋さんの一角を借りてギターを売っていた。でも、チラシをつくったり、グッズをつくったり、ギター製作以外の仕事が多くて疲弊してしまっていた。そんなときに、知人から、ホームページをつくってはどうか、と提案があった。そこで、「商売につながるのならやってみよう」。そう思って、ホームページをはじめてみた。ただし、つくったのは英語版だけです。


どうして英語版だけだったのでしょうか?
後藤:僕らがギターづくりをはじめたきっかけは、洋楽です。だから、アメリカで商売をして認められるというのが夢だった。そのきっかけになればいいと思ったわけです。そうしたら、本当にアメリカのディーラーから「商品を売らせてほしい」と一通のメールがあった。それで早速、ホームページにあった「コンタクト」箇所は削除です(笑)。煩わしいですから。
えっ、本当ですか? 僕なら、欲が出て次から次と、手当たり次第にやってしまうと思うんですけど…。
後藤:本当ですね。ひとつアメリカの商売になったから、まあ、これでいいか、と。実際、そのコンタクトをくれたディーラーは僕と同い年のアメリカ人なんだけど、とても気が合ういい奴で、今でも彼ひとりに窓口になってもらっていて、全世界でのディストリビューションをやってもらっている。僕らには、基本的に顔の見える、信頼できる人とだけ仕事がしたいという想いがあるんです。

その働き方は、ある意味、とても幸せですね。
後藤:だから、今、僕らはただギターをつくってさえいればいい。こういう形でワンクッションが入って、作品が商品になって、見ず知らずのアメリカ人に買われていくというのは、とても気持ちがいい。その上、彼は、NAMMという世界最大の楽器ショーで僕らのブースまでつくってくれた。そして、そこではギターが完売してしまったり、憧れていたロック・ギタリストに商品を買ってもらえたりした。そんな舞台に僕らをつないでくれた彼に会えたのは、本当にラッキーな出来事でしたね。
ところで、尾田さんの方は、どんな想いで彼と一緒にやってきたのでしょう?
尾田:元々、私も、音楽好きでギター製作の道に入りました。それで高校卒業して、入ったギター製作学校で講師をしていたのが後藤だったわけですね。で、後藤が、私のカラーセンスを買ってくれて、一緒にやろうと声をかけてきたんです。


18年前というと、後藤さんは21歳ですか?
後藤:はい。丁度、そのとき15万円の仕事が入って、手元に15万円があった。で、尾田に言ったんです。「ここに15万円ある。15万円あれば独立できる。だから、エレキギターの工房やろうぜ」って(笑)。
それで、尾田さんはその誘いに乗ったんですね。
尾田:私は後藤以上に、ノー天気なんです。彼が言えば、「そうか、そうか。彼が大丈夫と言っているなら、大丈夫なのだろう」という感じで彼と一緒に住み込み式の工房をはじめて、早18年間。それで、今でも、彼の奥さんと3人で住んでいるという感じです。


なるほど。想像を絶する人生ですね。では最後に、一応ものつくりのマガジンなので、ものつくりについて何かひとこと言ってもらえませんか?
後藤:僕はものを手でつくっているけど、ひとつひとつの作業に愛情を込めてつくればいいものができるとは思っていません。僕は、U2の『ヨシュア・ツリー』というアルバムが大好きだけど、あれはただのプラスチックの銀盤。プラスチックの銀盤自体は大量生産で機械でつくられているから、愛が込められているはずがない。でも、あのアルバムには愛が溢れています。だから、大事なのは内容物。アップルコンピュータだって、設計自体には配慮がふんだんにあって、愛を感じます。でも、あれ自体はただのモノです。僕らのギターもそれと同じでただのモノです。でも、持つ人を格好良くするフォルムにしたり、いい音を鳴らしてあげたり、手触りをよくしたり、そういう中身への配慮には想いっきり愛情を込めてつくっていきたい。そう想っているんです。

